株式会社色八屋
代表取締役 服部 伸也
人と縁。
私の原点は学生時代のアルバイトです。 静岡市昭和町にある“PUBロマン亭”という、ザ昭和なお店のバーテンとしてバイトをさせて頂きました。一ヶ月も経たないうちにママのご主人がひとり親方で切り盛りしていた、10席ほどのカウンターしかない伝馬町にある“おでん居酒屋はせがわ”にもバイトに行くようにいわれ学校が終わると、はせがわで夕飯を頂き、接客、21時頃からPUBロマン亭という生活でした。
“空気を読む” “阿吽”
はせがわでは隅に立ち親方の目配せと空気を読み、お酒出し、テーブルのセットと片付け、皿洗い、など親方ワールドのタイミングを感じ取る“阿吽の呼吸”が大切でした。 親方が盛り上がっている時に皿洗いやテーブルの片付けをすると怒れてしまい『空気を読む』『阿吽』を覚えました。数ヶ月後、仕事内容は同じでもポジションが変わりました。親方と二人並んで立たせて頂くようになり常連さん達から話かけて頂けるようになりました。
やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、
ほめてやらねば、人は動かじ
お客様のほとんどは親方の常連客でした。 親方は、知らないお客様同士を繋げてしまう話法を持っていました。親方は常に新聞と本を読み新聞から政治経済、本から歴史など話題に事欠かない話しっぷりでお客様は親方から教養を付けて帰っていかれました。親方の話が私も大好きでした。親方の専売特許はお客様の帰り際にメモを渡すことです。連合艦隊司令長官山本五十六の言葉『やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ』特にこのメモは何百枚もコピーしてありました。常連のお客様は何回渡されても喜んで財布に入れて帰ります。役職者が多かったので部下に対して自分への戒めになるのだと思います。まさに『教育ビジネス』『ファンづくり』を実践していたのだと思います。私も生意気にサラリーマンの愚痴など色々と聞いて相槌をうてるようになり社会の厳しさを知ることが出来ました。PUBロマン亭では接待を間近で見て勉強になりました。酔った社長さんたちの人生話を熱く語ってもらった時間も大切な肥しとなっています。
20歳の自信喪失
卒業間近でバイトを辞め、新卒で入社した会社は、静岡市にある事務機屋さんでコピー機などの販売代理店の営業でした。その時代は飛び込み営業が普通でしたので、新人の私は一日40件~50件の企業を飛び込み訪問しコピー機、ファックス、ワープロなど古そうな機械を使っていないかを見て聞いて古そうだったら再訪問しました。 しかし、なかなか結果がでません。 飛び込み訪問で最初に会話するのが事務員さんです。その事務員さんに商品の説明ばかりしていました。今お使いの機械よりコピー機のスピードが速いとか、綺麗だとか、カウンター代が安くなるとか。そこで良く言われたのは「新しい機械だから今使っているのよりそりゃ優れてるでしょ」それで終わってしまいます…そんな結果をだせない飛び込み営業に自信を無くし営業に向いてないのではと落ち込んだ毎日を過ごしていました。
俺の営業スタイル
そんなときに親方を思い出したのです。 お客様に教養を付けることはできないが自分のファンになってもらえることはできるかも‼ 訪問するたびに機械のスペックを説明してもだめだし、自分も面白くない、事務員さんが興味のある話をしなければ、友達になることだ!自分を知ってもらうことが大切だと気付いたのです。それから仲良くなる方法を考え自分のことなどを話すようにしていきました。まさに『自己開示』です。すると事務員さんからリースなのか買い取りなのかいつごろ契約したか、どこの事務機屋さんから買ったのかを教えてもらえるようになり、その先の顔も見たことがない決定権者(社長、所長)に合わせてもらうことができ買い替えの味方にもなってくれたのです。自分の営業スタイルが決まりました。
自分を売る
社会人になり、今度はお客という立場で居酒屋はせがわに通い、ときどきPUBロマン亭にも行かせて頂きました。親方もママも私からお金をとることはしないで、そこに居たお客様を紹介してくれ「服部くんからコピー機を買ってあげて」と声をかけてくれました。するとお客様が会社においでと言ってくれるのです。かなりの確率でコピー機の買い替えをして頂けたことに感謝しております。『お客様が信用している親方やママ』から紹介を頂いた『縁』のお蔭でした。
その時に感じることができた『縁』の大切さと『物より自分を買ってもらう』ことを社員達に伝え、お客様のマーケティングを提案させて頂く仕事をさせて頂いております。
若い私に社会を教えてくれた親方とママに感謝しています。
これが私の原点です。